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'08/10/30
('01/10 訪問)
新潟 ケンシン (304) さんの口コミ (40代後半・男性・新潟)
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| 店名 | 来迎寺そばや 作兵衛 (らいこうじそばやさくべえ) |
|---|---|
| ジャンル | そば |
| TEL |
0237-35-2735 ※お問い合わせの際は「"食べログ"を見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 住所 | 山形県北村山郡大石田町大字横山108-3 |
| 営業時間 |
[夏期] 11:00~18:00(売り切れ次第終了) [冬期] 11:00~17:00(売り切れ次第終了) ランチ営業、日曜営業 |
| 定休日 | 月曜日(祝日の場合営業) |
| ホームページ | |
| 平均予算 |
最も多くの方が実際に使った金額です。 →予算分布を見る | [昼] ~¥999 |
| 用途 |
多くの方がおすすめする用途です。 →用途分布を見る 友人・同僚と | 家族・子供と |
| 初投稿者 |
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ちょっと古い投稿で恐縮だが、山形の村山地方のそばが面白そうだ、という情報をキャッチ。
そのパンフレットが置いてあったのは、何と、新潟県の守門村、今の魚沼市のそば屋であった。
友人と早速山形行きを画策。後日、友人の車で北を目指した。
山形は、ラーメンもそばも、非常においしい土地柄である。
最近では、特にあげれば、米沢のラーメンという事になるのだろうが、何の何の、山形市だって
負けてはいない。ラーメン屋のみならず、山形市周辺は、そば屋がつくるラーメンというのがまた
おいしいのだ。
「そば街道」と呼ばれている場所は、山形県内に3ヶ所ある。
山形市よりさらに、北上すると、村山市という所があり、この辺りは山形市も含めて、村山地方
と呼ばれているのだが、この村山地方に、うわさのそば街道がある。
その3ヶ所とは、おくのほそ道尾花沢・大石田・最上川三難所と呼ばれるそば街道である。
まずは大石田そば街道から、来迎寺そばや作兵衛に入った。
来迎寺…新潟県民なら、越路町(こしじまち・今は長岡市)の来迎寺を思い浮かべる事だろう。
私達もそうで、ここはその、来迎寺という名前で選んだ次第。
大石田は、玄そばの産地として知られ、生産量では山形県内でもトップクラス。
昔から、そばうちは女の仕事とされて来た。そう言えば、信州もそうである。
で、男の仕事は、焼畑であったとの事。
ここのそばは、昔ながらの野趣あふれる板そば。太くて固くて飾らないそばは、イメージは、がさつ
で乱暴な感じ(上品の対極)である。そしてこれは、この辺のそばの特徴でもある。
食べてみて感じた、ここのそばの特徴は、そばの香りがすごい!という事だ。
味オンチの私が、十割そばでも感じられなかったそばの香りが、ここのそばでは実感出来た。
本当に直球勝負の味である。変化球は、一切ないのだ。
【河港で栄えた大石田】
全国的には、あまり知られていない大石田だが、かつては最上川の舟運で栄えた町だった。
大石田の南には、難所が3ヶ所あり、それを最上川三難所と呼んだが、川の利用で運ぶ事
には、リスクが伴った。そこで、ここ大石田で、とりあえず荷物は陸揚げされた、という訳だ。
舟で運ぶにしても、酒田から入った大きな川舟は、これ以上進めず、小さな舟に積替える必要
があったという。この辺りは、最大の物資の集積地であった。こういう場所を、幕府が見逃す訳
がなく、天領(幕府直轄地)とされ、川舟役所が置かれた。
物資は、出羽国内はもちろんの事、陸路で陸奥国の陸前へも運ばれ、貴重な上方の物資を、
(今でいう所の、太平洋側の)仙台藩にも、もたらした。言うまでもなく、遠く津軽・下北半島を
迂回していたのでは、時間がかかって仕方がない。