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昼の15コのコース (\10,500)
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何度か泣きそうになり、実際、何度か泣いたと思う。
もう、さいとうさんの寿司の秘密を探ることはやめた。
美味しいものがなぜ美味しいか。そんなこと考えながら食べるのは、意味がないし、どのように美味しいかを描写することも、不毛な気がするからだ。
今日は、目の前に置かれた寿司をしばし凝視する気持ちがあった。沈む、というより、ほんのちょっぴり、よろける寿司。やっぱり可憐だ。愛しくなる。
7席あるうち、6席がうまった。外国人男性と日本人女性のカップル以外は、すべて男性ひとり客で、そのうちのひとりが最低限の質問(産地などの)を何度かした以外は、さいとうさんに話しかける人は皆無だった。私以外の三人の男性はいずれもなじみの常連さんであるようだったが、だからこそ馴れ合いの会話はなどは一切なし。個人的にはこれがよかった。なぜなら、寿司に集中して握っているさいとうさんの姿をじっくり見つめることができたから。
思い込みかもしれないけど、やっぱりさいとうさんの姿は何か祈りを込めているように見える。それは、たまらないものだった。
寿司求道者ばかりが集うサロン的な雰囲気ではない。そういう演出された緊張感は微塵も漂わない。健やかな静謐さがある。これもまたお店の人格だと思う。
さいとうさんのおつまみも好きだし、お客さんの相手をするさいとうさんも好きだ。でも、いまは昼のほうが自分にはぴったりくる。
その日、どんなお客さんが来ているか。それは誰にも選べない。この日は最高のひとときだった。なので、点数あげました。
ちょっと困るのは、これまでも薄々感じていたことだけど、他の寿司屋に行くと、何か自分が不貞を働いているような気がしてしまうこと。あざみ野「逸喜優」は、自分にとって寿司の美味しさを教えてくれたという意味で「実家」みたいなものだけど、とりあえずしばらくは「さいとう」にしか行きたくない。そんな気持ちになっています。いまの自分にとっては「さいとう」があれば、何もいらない。
次は昼の10貫で、しらふ寿司に挑戦。したいなあ。カゲトラの誘惑をかわすことができるのか。自信はないけど。
寿司の神様がいるとして、その神様にさいとうさんは選ばれたのだと思う。でも「寿司」がさいとうさんを選んだことより、さいとうさんが「寿司」を選んだことにいまは感謝したい。恥ずかしいけど、本気で思っていることなので、不躾ながら、帰り際にさいとうさんにそう伝えた。
「ありがとうございます。寿司を選んでくれて」と。
以下は2008年7月4日に記したものです。
三度目、三週目。
先週ははしゃぎすぎてしまった。久しぶりに飲む大切な友人とふたり、おつまみたくさん、お酒びたびた、お寿司を味わう余裕がなくって、ものすごく失礼をしてしまった。反省。
今日は初めてのお昼訪問。
しらふ寿司。のつもりが、席につくと、ついカゲトラを。15貫。
酔っていても、酔ってなくても、初めてでも、三回目でも。
さいとうさんのお寿司の正体はまったくつかめず。
何なんだろう。
プチフールみたい。とは最初から思っていたことだけど。極上のケーキを頬張ったときみたいな、えもいわれぬ幸福感が、さざなみのように、じわじわとこみあげてくる。
きゅんきゅんする。自分が女の子になったような気もする。しあわせだあ。
みんな、好きになってしまうんだよなあ。
さいとうさんその人の魅力に負うところはめちゃくちゃ大きいのだけれど。でもそれだけじゃない、決してつかめないものを、つかませてくれる、そんなお寿司。私はまだ、全然つかめてないけど。
誤解をおそれずに書けば、魔法みたいなんだよなあ。
これは寿司じゃない。と書く人がいてもおかしくないと思う。少なくとも、自分が知っている寿司的なるものからははるか彼方に飛び立ってしまっている。
ガリ、今日が最高でした。★5つ。カゲトラにめちゃくちゃ合う。
お茶の美味しさも、強く認識。★4つ半。後半はお茶で食べたけど。でも、やっぱり、カゲトラは欲しいかも。だって、より一層、美味しくなるのだもの。
ふたり寿司が三回つづいた。やっぱり次はひとりで食べなきゃダメだな。
来週、来れるかな。来たいなあ。
お店に、初めて恋してしまった。
以下は2008年6月18日に記したものです。
さいとうさんが握る姿は、アスリートみたいだと思った。
それは、彼が体育会系の風貌をしているということではない。
確かに、硬派な顔つきであり、健やかな瞳の持ち主ではある。だが、そうしたルックスから想起されるものとは、別種のものが、所作に宿っている。
慎重である。だが、神経質ではない。ひとつ、ひとつ、丁寧に、精神を集中させている。
その様は、何かを手繰り寄せているようでもあり、何かを注入しているようでもある。
清んでいる。だが、空気が張り詰めているわけではない。儀式めいた威圧感とも無縁だ。
おそらく、それが、彼にとって、当たり前の行為だからだろう。
たとえば陸上選手が、スタートする少し前に、意識の中から、自分が走り出すために必要な、そして有効なイメージを取り出し、明確に、具体的に、かたちづくっている。そんな印象をもたらすのである。
そうして紡ぎだされた寿司は、スピードや重量感よりも、どこかスローモーションを思わせるテクスチュアがある。
小ぶりであるとか、すめしが甘めであるとか、そうしたことはどうでもいい。
可憐、と形容すべき、その寿司を受け取り、己の口の内部に到達させるまでの自身の手の動きが、安直な陶酔とは異なる、ここではないどこかに飛び立たせるような魅惑のスローモーションを、ごく自然に奏で、つい、我を忘れそうになる。
生まれたて。を、いただいている気持ちが、その都度、その都度、訪れる。
だが、敬虔な気分というよりは、ときめきの元素に触れた気にさせてしまうのが、さいとうさんの寿司の、おだやかな魔力である。
ネタがどうしたとか、書きたくないが、むらさきうに(ばふんうにも素晴らしかったが)をほおばった瞬間、自分がうにになった気がしたし、ゆでたてのえびの姿を目の当たりにしたとき、このえびはすめしを抱えたこの状態で生まれてきたのではないか、とも思った。
生まれながらの。寿司がそこにあった。
驚くべきは、追加した、づけと、いかを食べたときであった。
それぞれ、もう一度食べたいと思ったから頼んだのだが、いずれも印象が違っていた。
づけは、さっきより美味しい。さわやかだったいかが、今度は軽やかにしぶとい。
つまり、彼は、ひとつ、ひとつ、精神を集中しているがゆえに、生まれたての寿司を、生まれながらの寿司を、その都度更新しているのである。
これは断じてブレなどではない。終わることのない進化である。
帰るとき、一週間後の予約を入れた。
店でそんなことをしたのは生まれて初めてだ。
さいとうさんは野球をやっていたと話してくれた。
もし彼がピッチャーマウンドに立つ投手だとしたら、
食べ手はバッターかもしれない。
その超スローボールを打ち返すのではなく、空振り三振、いや、見逃し三振してしまいたい、などと帰り道、妄想した。
見逃し三振には、見逃し三振の心地よさがあるから。
久しぶりのふたり寿司。かけがえのない充実した時間がもたらされた。
夢。のような一体感。
来週、その輪郭ぐらいには迫りたいものである。
追記。
恥ずかしくていままで書けませんでしたが、
二回目に夜来店したとき、友人とふたりで
大きな声で話しすぎていた私を、ご主人は
しっかりたしなめてくださいました。
しかも、友人がトイレに立ったとき、
私のそばにいらして、耳元でささやくように。
(つまり、他の客にはわからないように)
初心者なりのプライドを決して傷つけない心のこもった
たしなめでした。恥ずかしい、などと憤るよりも、
素直に反省させられました。しかも、楽しい気分がまったく
トーンダウンすることなく。
客あしらいについて、いろいろ書かれていますが、
少なくとも私は、これまで嫌な思いをしたことがありません。
客層が味に影響したこともありません。